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日本幼児教育の父の理念を反映「倉橋惣三協会」が設立

保育士
日本の近代教育史に名を刻む倉橋惣三(くらはし・そうぞう)という人物をご存知でしょうか? 保育関係者ならば、座学の時間にその功績を学ばれた方も多いことでしょう。しかし、世間一般的にはそれほど語られることは少ないかと思われます。

日本国内で「幼児教育の父」と呼ばれる倉橋惣三(1882~1955年)は、大正時代から昭和中期にかけて活躍した教育家で、1882(明治15年)年に静岡県に誕生しました。

1882年といえば、スペインはバルセロナにて、いまだ完成しないサグラダ・ファミリアの建設が始まり、日本国内では岐阜県で暴漢に襲われた板垣退助が「板垣死すとも自由は死せず」と有名な言葉を口にしたことでも知られる年です。当時の日本社会では乳幼児期の育ちが、いかに大切か? ということが、まだ十分に理解されていませんでした。そんな社会にあって、大正、昭和初期から幼児教育の重要性を説いていたのが倉橋です。

幼少時に岡山県に転居した惣三は小学4年から、父親の「息子を東京の学校で勉強させたい」との願いにより、東京の浅草小学校に転入。東京帝国大学(現・東京大学)文科大学哲学科卒業後、帝大大学院児童心理学修了。1913(大正2)年より、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)講師になり、児童保護を「消極的」呼称として退け、「積極的」な児童愛護を提唱。1917(大正6)年には教授となり、同校付

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